過去30年間に日本で発生した被害地震(死者10人以上)のすべてが想定外の地域で起こっていると言ったのは、ロバート・ゲラー東京大学教授だ(Nature,472,7344)。6,400人の死者・行方不明者を出した1995年の阪神大震災にしても、後になってからいろいろな人たちがさまざまな研究発表を並べ立てて、あたかも直下型の大地震をあらかじめ予測していたかのようなことを言ってみたり、メディアもそれを大きく取り上げたりする。68人の死者を出した2004年の新潟県中越沖地震でも同じだ。新潟の中山間地を襲ったM6.8の直下型地震で、川口町では日本の震度階でこれ以上ない最高レベル震度7の揺れを記録したこの地震を、自分は本当に予知していたと言える人が果たしているだろうか。

 

その意味からして、東日本大震災は、誰も正面きって予知していたと明言できない大地震だ。予知というのは、「ありそうだ」とか「いつかはきっと」などといったレベルの予想とは違うものでなければならない。

 

貞観地震(869年)やこの地震に起因する津波のことを言い立てたところで、それは1142年も昔の歴史的な災害にすぎない。われわれの意識からすれば6千500万年前にメキシコのユカタン半島沖に激突し、地球上の種の3分の2以上を絶滅させたという直径10キロほどの小惑星の存在とほとんど違わない。災害や事故が想定外であるという言葉が意味するのは、ある特定の想定に立ったときにその範囲内に含まれていないことが起ったということを言っているにすぎない。想定外といってみたところで、それはご自身の想定になかったということで言い訳にもならない。

 

「明日起っても不思議ではない」という殺し文句で世の中を不安にさせ、東海地震の直前予知は出来るという無理まで世間に承知させて1978年に「大規模地震対策特別措置法」が制定されたのは、地震恐怖症が、不可能な地震の直前予知を可能だということにして、国の法律までも作ってしまったという世界でも希有の例である。この法律が現在でも存続していることの意味は、依然として東海地震の直前予知が、条件つきであるにしても想定されているということなのである。ところが、世界の多くの地震学者は、直前予知は出来ないとはっきりと明言しているのだ。この場合は誤った想定が、国民に誤った幻想をもたらす想定害だということになる。

 

多くの大災害は想定外のところで起こるという事実を忘れてはなるまい。それはアキレウスの踵を鋭くつき刺したパリスの放った矢の如きものである。想定内だとか想定外だとか言わないことにしよう。想定していないことが起るから被害を生じるのだ。災害とはそうしたものである。災害予知は不可能だということを認めよう。そのうえで、われわれには、想定外の災害が起こってもそれをはね返す災害弾力性がもとめられるのである。災害に対する抵抗力、免疫力のことである。これらの涵養につとめることが肝要だ。