私は軽井沢に暮らすことが多くなっている。わが家の庭には、大きな栗の木と、何本かのミズキの大木があった。ある年の台風で、それらが大きく傾いた。植木屋が言うところでは、今度大きな台風が来たら、倒れて隣家やわが家に被害を与えるかもしれないとのことだ。そこでやむなく、重機を使って吊り上げて切るというずいぶん荒っぽいことをやって、それらの大木を伐採してもらった。それは3月のことで、まだこの地では雪が残っていた。だが、わずか4カ月後の、7月になってみると、大きな栗の木、毎年たくさんの栗の実を地上に落していた大木がなくなった空間を、それまで隠れていて、少々いじめられていたトウヒの木がめざましい成長を遂げて占領してしまっていたのだ。2メートルも樹高を伸ばし、かつて栗の木が覆っていた天井と同じくらいの高さにまで成長していたのである。同じことが、直径80センチほどのミズキを切った後にも起った。ミズキの陰に隠れて、ほとんどこれでは枯れるのではないかと思っていた山法師が、これもまた勢いづいて、大いに枝を張り、軒先にまでその枝が届くような始末であった。しだれ桜もまた同じであった。
トウヒや山法師やしだれ桜にとって、栗の木やミズキは、自分の成長を妨げる邪魔者以外の何者でもなかったのである。よく世間で「余人をもって変え難い、だから今回は留まって欲しい」と慰留して、高齢の人物を長くその地位に押し止めておく習慣がいまだにあるが、これは若い世代の成長を阻み、世の中の進歩を遅らせる最大の原因ではないかと思い至ったのである。多くの新しい時代、あるいは革命や革新は、時に暴力的な若い世代によって担われている。フランス革命も然り、アメリカの独立運動も然り、日本の明治維新もまた然りである。古い世代や旧体制を暴力によって打ち倒すことは、いわば災害であり、犠牲をともなう。
台風や地震のような自然災害であろうと、大火災や大爆発のような人為災害であろうと災害には古きものを倒し、新しきものを芽生えさせるという側面がある。第1次世界大戦時に、カナダのハリファックス港で起った弾薬積載船の大爆発事故も、関東大震災も同じである。悲劇は悲劇だけではないのである。
災害は、社会の新陳代謝のサイクルをはやめ、世代交代を加速する。
私の庭で起ったこの世代の交代劇において、私はたまたま偶然にも災害を下す役割を演じてしまったわけだが、そのことが、今まで伸び悩んでいた新しい勢力を大いに元気づけたということも知ったのである。災害の働きを冷徹に見れば、それは幾分かの効用も持っているのである。余人は常にいて、それはいつでも当人と交代可能だということを思い知らされた次第である。